最期の日までの記録

自殺を決めています。衝動的なものではありません。現在は、表面上は笑顔で仕事を淡々とこなしながら、 水面下では計画を熟考する日々です。ここでは考えをまとめたり、振り返ったりするつもりです。あとは遺書の下書きになるのかもしれません。

4月

新年度

 

退職とアパート引払いが終わり早1週間

 

現在、

住所不定、無職、社会保険なし

 

あれだけ前職場に念を押しておいたのに、実家へ郵送物が届いてしまい、退職etcが早々にバレてしまった

 

しかしこういうことも想定内だった

  だから特に焦りもなく冷静

居場所はうまいこといって明かしていない

 

何が想定外だったって、心身のパワーダウンがかなり著しいこと

当初予定していた死に場所まで、予定していた時間内に辿り着く気力が現在ない

そして最終準備にも遅れが出ている

よって現在、色々と計画を変更しつつ、ボロが出ないように確実に進めている

体調をみながら下見を重ねているが、その下見でさらに疲れるという、笑うしかない地獄ループ…

 

アパート退去時なんて、頭働かないは身体動かないはで全然片づけが間に合わず、業者さんに作業中謝ってばかりだった

( 普段の私は、時間や期限には厳しく強迫的ですらある。だからこの件で、自身が異常事態に陥っていることを自覚せざるをえなかった。)

 

退職etcが早々にバレ、過去に自殺未遂歴もあることから、今回ももしや …と何となく家族は察している様子だ

それ自体は良かったと思う

心の準備をしてもらえるだろう

 

今は、とにかくうまく振舞って時間を最大限稼ぎつつ、納得のいく時間を過ごそうとしている

働かない頭で、自分と対話している

 

そこまでして今死ぬ必要があるのか

度々自問自答している

でも結局毎回、今を逃したらこんな整った機会はもう数十年訪れない、という結論に至る

周囲への迷惑をできるだけ少なくするべく、この1年間で着々と準備し、沢山のものを切り捨ててきた

 

退職後に気がついたことだが、今の私は

「死にたい」ではなくて

「死ななくてはいけない」という強迫的なものに大半を占領されている

 

いち医療従事者として客観的に観察すると、やはり病気なのかもしれない

しかしこれはもう治らない

そもそも自分に治す気がなければ、精神疾患は治らない

 

現在はなんとか上手くやり過ごしているけれど、あまり猶予はない

警察なんぞに通報されてしまう前に、終わらせなくてはいけない

まぁでも、家族にも世間体やプライドがあるから、その一歩は相当重いはずだ

 

一体私は何をしているんだ、という自分

根性まで腐りきった卑怯で愚かで最低な自分

死ななくてはいけない、という自分

 

これを読まれた方々からはきっと嘲嗤われていることだろう

どうぞ笑ってください 

あと3週間

勤務は残り1週間

もう全てが限界を超えている
朝起きて定時に出勤するのさえ辛く、本当にギリギリの生活
今週の記憶はほとんどない

覚えているのは、酷い寝違えと頭痛のために何をするにも激痛が走り、とにかく鎮痛剤が手離せなかったことぐらい
あと、気がついたら右耳がよく聴こえなくなっていた

最近は、仕事をするというより「ただそこに存在しているだけ」に近い
何もやる気が湧かない、集中できない、にも拘らず焦燥感からじっとしていられない
そんな自分を激しく嫌悪し、恥じる
自分自身が情けなく、憎い

上司の背中に向かって、ただひたすら自分の存在を詫び続ける日々

上司が差し伸べてくださった手を、離すべきではなかったのかもしれない
皆様が、本当に心から私の将来を案じてくださっていた

しかし、優しくしていただくほど
「もうこれ以上頑張りたくない、頑張れない」
「期待には答えられない」
「私のズルくて卑怯な本性を知らないから、優しくしてくださるだけ」
という気持ちが強まり、
『皆様の前から、記憶から、一刻も早く存在を消さなければ』
と決意を強固にしている

自殺が精神疾患に伴うものだとしたら、私はたしかに病気なのかもしれない

しかし私には病識がないし、自分と向き合って治す気もない
自分が嫌いで、存在すべきでないと思っているから
だから
だから結局は同じ結果になる


最終勤務の1週間くらいは、頑張って真面目に働きたいけれど、正直もうそれどころではない

「完全無気力+集中困難+激しい焦燥感」
このトリプルアタックは確実に人間を破壊する
現在、身をもって体感中


《遺書について》

私のたった一人の兄弟のこと

去年の精神科入院時には、保証人となってくれた
入院や休職の事実を、両親には秘密で通してくれた

死後、兄弟が両親から責められないように、兄弟自身が己を責めないように、以下を何度も明記しておく

「全ては私が強く希望したことであり、私が選んだこと。誰も悪くない。誰も止められなかった。どうか私だけを恨み、責めて欲しい。」


家族には会いたくない
顔を合わせば上手く行かないことばかり
過剰な気遣いで疲れ果て、挙げ句に四方八方から傷つけられる

でも、
母の作ったサンドイッチが食べたい

残り3ヶ月

12月

結局、精神科の受診は当日にキャンセル、次の予約もしなかった

「3月末には全てを終わらすつもりです」という本音を隠したまま、笑顔で順調に経過しているフリを診するのはもう疲れてしまった

人としても大先輩としても尊敬している主治医や心理士さんに、ここまですごくお世話になったにも関わらず、これ以上嘘をつくことが凄く苦しい

 

かと言って、本音を話すつもりもない

話したって何も解決しないから、結局は自分の問題だから

一次的に楽になるのかもしれないが、それは本当に「一時的」でしかないことを、この10年間で何度も経験したから

もう、こんなわけのわからない自分を操縦して生きていくことに心底疲れた

情けないが、もう努力することにも疲れてしまった

だから決意を変えることはない

 

荷物の整理の手配も、ロープの準備も、場所の検討もできている

ロープワークも実践した、他の細かい情報も確認してある

遺書も概ねここに下書きしてある

 

あとは、

売れるものはお金に替えて、会員関係(携帯、ネット類、カード)を解約して、貯金をおろして兄弟に送る

 

遺書の下書きにも記したが、私がこういう決断に至ったことについて、主治医も心理士さんも、職場の上司も、家族も誰も悪くない

私がこの1年間、勝手に嘘をつき通して、元気に穏やかに笑顔に振舞ってきただけ

みんさんが手を差し伸べくださった、だけどそれを自分が断った

だたそれだけ

だから、私がこの世を去ったあと、主治医や心理士さんの迷惑とならないように、

間違っても「何で直前まで診察していたのに気がつかなかったんだ!」とか誰かに責められないように、

そのような事態は同じ医療者として不本意だから、色々考えたうえで、早めに自分から関係を終わらせた

そして、職場も円満に退職する予定だ

 

もう、本当に疲れた

仕事は頑張っているし、今の本当の姿を悟られないように振舞っているが、正直それもすごく疲れる

眠れないし、起きられないし、食べられないし、胃痛酷いし、

隙さえあれば脳内で自分を殺しているし、状態は最悪

年末年始も寝込んで終わった

だけどあと3カ月だから

もう少し頑張れば全部円満に終わらせられるから

ニコニコ穏やかに頑張る

 

頑張れ、自分

 

ただ、受診をキャンセルしたあと、3日間連続で病院から着信があった

おそらく主治医からで、うまい言い訳がみつからなくて折り返していない

社会人として最低だと思う

だけどこのまま通院を継続するほうが、最終的にもっと酷い仕打ちをすることになるから、どうかどうか許していただきたい

本当に申し訳ありません

「元気になってきて、受診が面倒くさくなったかな~」とでも解釈していただけると、とても有難いな・・・なんて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心に波風が立つ日

ざわざわ、そわそわ

自分を思い切り痛めつけたくなる

危険な感じがするので、急いで帰宅して、安定剤1/4錠飲んで、お酒をひっかける

(中枢神経系作用薬が効きすぎる体質なので1錠内服すると過鎮静となり仕事に支障が出る、お酒も弱いので少量で足りる、何とも安上がりだ)

 

精神科受診日、それは心に波風が立つ日

何を話せばいいのかわからなくて、毎回質問に答えるだけ、それ以外は黙っている

自分から口を開けば、うっかり話さなくていいことを話してしまうかもしれないから

 

体調は悪い

まぁ、以前から慢性的に低空飛行だが、ゆっくりとした降下が止まらない状態だ

 

エフェドラと利尿薬と過剰な下剤を長期常用しているから、ここ最近体調に異変を感じることが増えた

蹲るような心窩部痛が時々ある

「あー、このまま逝ければ、自殺ではないから家族も納得してくれるだろうに」と蹲りながら思う

多分、肝機能とか脂質関連は上半期よりさらに上がっているだろう

 

ピル内服中止(お金無駄、そもそも内膜症を治療する意味がもうない)後、気がつけば8ヶ月も月経がない

うっかり子宮内膜が厚くなりすぎて悪性化してくれていないだろうか、と不謹慎なことすら思う

 

来年度以降のことも、悩んでいるわけではなくて、もう結論を決めているだけ

気力と時間さえあれば、この世を去る準備をゆっくりとすすめている

ちなみに、部屋まるごと処分の具体的な日取りは決まった、早めに動いで正解だった

予想よりも安く済みそうで、少しホッしている(田舎でよかった)

 

これはもう希死念慮ではなくて、完全に自殺企図だな、と客観的に思う

 

こんな話を診察でできるはずがないし、私がするわけもない

 

最近の診察は、主治医と私の心理戦の如くなっている(気がする)

どこまで深く追求するか、毎回考えているように伺える(多分)

来年度以降のことも、毎回とても遠慮気味に尋ねてくる

 

私が従来、慢性的な希死念慮を抱いてきたことは把握している

しかし最近は、そういう質問をまったくしてこない

これも、敢えて取り上げていないのではないか、と何となく思っている

①ただもう診療が面倒で関心がないのか、

②もしくは私の思考行動をある程度予測していて、追及するのが今のタイミングではないと思っているか、

どちらかのような気がしている

 

こんな書き方をすると、まるで私が主治医を試しているかのようだ(苦笑)

こういうところが、鑑別疾患の候補にボーダラインパーソナリティー障害が挙がってくる所以かもしれない

確かに、20代初期の自分にはその傾向があった様に思うが、今は違っているはずだ(そうあってほしい・・・抑制は効くし)

 

主治医を試して、助けを待っているわけでは100%ない

①のほうがよっぽどありがたいし

②の場合、タイミングを見計らって受診をドロンしなくてはいけないな、と冷や冷やしている

 

結局何が言いたいかというと、

「毎回1000円以上の診察代を払って、一体何をしに行っているのだ?」ということ

職場との関係で、ただズルズルと受診を続けているようなものだ

真摯に向き合おうとしてくれている(はずの)主治医に、わざわざ嘘をつきに行くための1000円

そして診察が終わると、苦しくてどうしようもない気持ちになって、今日みたくなる

 

もう行くの止めてしまおうか

(でも、それで余計に勘繰られてしまうのも面倒だな・・あぁ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

葬式と限界

身内が亡くなった

90代

最期は、家族と過ごす時間も取れて、きっと幸せだっただろう

 

お葬式に参加した

家族葬

孫の私にとっては、優しくて笑顔がとても素敵な、近くて遠い存在の祖母だった

御焼香や合掌の度に

「お疲れ様。むこうで夫婦でゆっくりしてね。ねぇ、私もそちらへ行くことを許してください。」

と語りかけた

 

自分の家族はじめ、親族に数年ぶりに会った

誰も、私がこんな状況だとは知らない

だから、

医療ドラマの登場人物のような働きぶりを想像されてしまったり…

娘(私)のさりげない自慢?が始まってしまったり…

今後はどうするのかと期待のこもった眼差しを向けられたり…

結婚はしないのかと聞かれたり…

 

全部想定内だった

だから、危篤の知らせを聞いた時から、祖母へただ思いを馳せたいのに、私の精神状態はますます悪くなっていった

眠れない、食べれない、乖離状態で記憶があまり定かでない日々

 

自分のことしか考えられない孫でごめんなさい

自慢の娘でなくてごめんなさい

キラキラ、イキイキ頑張れていなくてごめんなさい

 

さらに、本当の姿を隠すためにニコニコ穏やかに振る舞っている自分に、罪悪感と自己嫌悪が重なる

 

でも、ひとつだけ安心したことがあった

数年帰省しなかった私のことを、母が親族にこう説明した

「私に娘はいないものだと思っている。孫も期待していない。」

 

そう、いないと思って、これからもずっと、何があっても

 

うーん

困った、限界が近い、それかもう若干超えている

3月までは涼しい顔(のふり)して働くつもりなのに

このまはまでは持たない

持ちこたえろ、私

ここで弱音を吐いたら、計画が全部ダメになる

 

ちなみに、

家財道具一式処分してくれる業者をみつけたので、やり取りを始めた

年度末はどこも大忙しだから、早目に準備をはじめないと

 

おばあちゃん、そっちへ行くの許してください

 

 

 

 

 

遺書下書き①

この季節変化のせいもあるだろうか
(私の容量的には)ハードな日々が続いているからだろうか
だいぶ状態が悪い

悪夢にうなされる
激しい胃痛と吐気におそわれる
気が抜けると泥沼のような重たい鎧に心身ともに閉じ込められる

思い切り自分を痛めつけて刺激したくなる
全身の血を抜き取ってしまいたくなる

でもそれに手を出したら、容易に歯止めがきかなくなることがわかっているし、医療従事者としてあってはならないことだから、何とかギリギリ耐えている

ニコニコ
頑張って元気にしている
「やる気があるなら」と上司に言われたら、苦しくても、やる気がないと思われるのが辛いから、やる気だして頑張っている

磨り減る

もう、3月でなくて年末でもいいのでは、としばしば思う
でも、なるべく迷惑をかける人は減らしたい
だから耐えなくては


《以下、遺書下書き①》

家族の皆様
こんな最低の結果で、また迷惑をかけてごめんなさい
私は全てから逃げました
10年前から結局何も成長できませんでした
私は最後まで甘ちゃんの卑怯ものでした

そうは思ってもらえないでしょうが、私なりに頑張った時期もありました、闘ってみた時期もありました
でもやはり、どうにも駄目でした
生きていることが苦しくても苦しくて、もう限界でした

たぶん誰にも理解できないと思います
私にも、正直もうわかりません、自分が
頑張ってみたけれど、操作し続けることがとにかくとても苦しかった

助けを求めることを我慢したわけではありません
敢えて、誰にも助けを求めませんでした

もう終わりにしたかったからです

だから、どうか私を恨んでください、憎んでください
誰のせいでもありません
誰にも止められませんでした

隠してもいつかわかる話なので書きますが、
私には精神科に主治医と担当心理士がいました
職場の上司もある程度状況を把握していました
皆様から本当にたくさんの支援をしていただきました

しかしこの1年間、私は嘘をつき続けました
元気な素振りをわざとしていました
助けてほしくなかったからです

誰も悪くありません
私が選択しました

最後までナルシストの自分勝手でごめんなさい

葬式も墓もいりません
手間をかけますが、どうか焼却と骨処分だけ、申し訳ないです…

この世に産み出してくれてありがとう
沢山のことを犠牲にして育ててくれてありがとう

にも関わらず、結局逃げてごめんなさい

どうか、この卑怯者はどこかはるか遠くで働いているとでも考えて、今まで通りの生活をしてください